No.126 「人」を愛する私
鵺 [2005/09/17]
私にはこだわり愛しているものがある、と言いたいところだが、残念ながらどれもこれも中途半端であることに気づいた。本?何でも読む。いわゆる乱読である。園芸?観葉植物・植木・草花等なんでも、育てるのも見るのも好きであるが、日々手入れをしたり、地の果てまで見に行くほどではない。では手芸?一応洋裁・編み物・刺繍とどれもそれなりに好きである。が、一日中しているほどではない。等々。こう考えていったとき、気が多いだけで集中出来ていないことが分かる。どれもそれなりに好きではあるが、そのことに熱中しながらどこかで「これでいいの?」と自分に問いかけている。なぜであろうかと考えてみると、どれも一人で出来ることではあるが、私は常に誰かと関わりあっていたい気持ちが強いことに思い至った。
つまり私がいつも気にして愛して止まないもの、それは「人」である。人の何が気になるのか、全てである。人と話すことが大好きである。それは直接面と向かってでも、電話でも、メールでも手紙でも。たとえ直接知らない人でも、その人の書いたもの、話していること、生活スタイル等から、新しい「人」が分かってくる。お喋りな人・寡黙な人・鎧を着ている人・オープンな人それぞれであるが、そのなかに秘められたいろいろなことを知り、新しい発見をして、多くのことを学べる。「人」と接することによって(直接・間接に係わらず)いろいろ考えさせられる。「人」は本当に様々で予測がつかない。そのため興味が尽きたり、飽きたりすることが無い。人間ウォッチングというほどではないが、いつもアンテナを張り巡らしていたいと思う。私には想像もできない考え方をする人がいて、どうしてそういう思考回路になるのかなど理解できないことも多い。同じ型に当てはめて考えてはならないことを知る。また、あのようになりたい、あのようにしたいと思うことも多い。いい人の中にも悪魔が住んでいるのが見えたり、謹厳実直な人も裏はひょうきんだったり、千変万化、千差万別、一人として同じではない。多くの人と接して、多くの人を見て、少しでも自分なりに学んだものを生かしていけたらと思う。例えば、自分中心の話ばかりする人と一日を過ごし、“疲れた”と感じることもあるが、あの人はなぜああなのか?と考え、私もあんなかも知れないと自分を振り返ったりすること、それも楽しい。たまに自分からシャッターを閉めてしまうこともあるが、そんなときは後で、「しまった。違う発見があったかもしれないのに」と思うことが多い。
私は一人で過ごすことも好きであるが、一日中誰かといることもまったく苦にならない。本当に「人」を愛しているのだと思う。
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