No.115 私とニュージーランド
1、ロトルア・イングリッシュ・ランゲジ アカデミー
何の準備もなくふとしたことで、ニュージーランドへ語学留学をしたのですが、そこで私はたくさんのことを、学びました。
初めの4ヶ月間はただ疲れるだけで、授業の内容が頭の中に入ってこないのです。
頭の中に靄がかかっているようでした。ジェン先生に相談をすると、「人よって進度は違いますが、でも3ヶ月我慢しなさい」と言われました。RELAの先生方はとても生徒に親切です。ジェン先生のように外国で英語を教えた経験を持つ先生もいて、生徒が暗い顔をしていると「どうしたのか」と聞き、適切にアドヴァイスをしてくれます。この学校の良さは生徒の良いところを見つけ励まし続けてくれることです。生徒一人一人の成長を中心に考えて、他の生徒と比較しません。この先生方の態度に日本との違いを感じました。
評価も、例えば英英辞典を使って英文を書けるようになったとか、不得意のリスニンについては、キーワードが聞き取れるというようにその生徒ができるようになったことを評価するだけです。こういう評価に時には物足りなさを感じることもありましたが、励まされもしました。自分に何ができるのかがはっきりするからです。
この学校には、短期間ですが、日本からたくさんのシニアの方が勉強に来ています。ベテランのスーザン先生が懇切丁寧に指導してくれます。進級するにつれ、10〜20代の現役の高校生や大学生と一緒に勉強するようになります。私は若さに嫉妬し、記憶力の減退を嘆きつつ、劣等感に苦しみ、下のクラスに変えてもらったこともありました。それでも多くの人々に励まされて、なんとか授業について行けるようになるまで、なんと一年が過ぎてしまいました。しかし、この一年で私の会話力は格段に進歩しました。学校では一切日本語を使うまいと決心して日本人学生からなるべく離れていたのですが英語話すことが怖かった初めのころに比べて何とかなるといった驚くほどの度胸がついてきました。
この学校には韓国人や中国人の他に、南アメリカやタヒチ、北欧や東南アジアなど様々な国籍の学生が入学してきます。なんとか話ができるようになると、彼らから日本の事を聞かれる機会も多くなりました。特に韓国と中国の学生は口に出さないものの日本の教科書問題や日本政府の対応についてかなり厳しい意見を持っていることがわかりました。
アンジェラ先生やサンディ先生の授業では新聞の記事やラジオのニュースを要約しそれについて意見を述べることが要求されので、そんな時や休み時間の雑談の際に、日本政府に対する彼らの気持ちに触れることができます。ニュージーランド人からも「日本の教師は、どうして戦争の真実を高校生に教えないのか。以前にホームステイした高校生は何にも知らなかった」と言われたりしました。こんな時、私は歴史の
勉強会で学んだことをもとに、胸を張って日本の歴史教育について語ることができました。
ニュージーランド人の多くは、沖縄がどこにあるかは別にして、沖縄の少女暴行事件を知っていました。ところが、アメリカから来た先生方の方がこの事件を知らないのです。それはアメリカが自国以外にはほとんど関心がないからだそうです。アメリカのカリフォルニアから来たセラ先生の話ではアメリカの歴史教育(セラ先生の学生時代)は、ほとんど自国だけの歴史、それも白人中心の歴史を教えたのだそうです。アメリカ人の多く(ブッシュ大統領を含めて)は外国を自分達の興味関心の範囲だけで捉え、世界各国との対等平等などいうことはほとんど関心を持っていないのかもしれません。沖縄のレイプ事件などは、そんなアメリカ人の世界観によるのかも知れません。
2 ロトルア
オークランドから車で南に3時間、私が留学の地にとして選んだロトルアの町があります。小鳥がさえずる美しい公園の辺りにも、温泉のガスが臭い、白煙がゆらめいています。ここは温泉地別府市と姉妹都市です。
内陸部にあるロトルアは人口約6000人、面積はおよそ2700平方km。一日の中に四季の移り変わりがあると言われているように気温や天候の移り変わりが実に激しく、さっきまで晴れていたのに急に黒雲が現れてシャワーのごとく雨が降ってきます。こういった気ままな天気に地元の人々は慣れていて焦って駆け出したり、傘を取り出したりするようなこともなく悠然と軒下で雨宿りをしたりしています。洗濯物なども外に出しっぱなしで、「ロトルアには酸性雨は降りませんから」と、平然としています。太陽光線はとても強く皮膚がんを恐れるニュージーランド政府は、子どもたちに帽子の着用を奨励しています。首の後ろが隠れる色とりどりのその帽子がなかなかかわいいのです。大人達はサングラスをかけます。フロンガスの影響によるオゾンホールの拡大は、いろいろなところでニュージーランド人の生活を脅かし始めています。また日差しが大変強いので、芝生は夏になると枯れてしまいます。雨が3日降らないと町中のいたるところで噴水機が一斉に水を噴出します。でも、この強い日差しも木陰や家の中に入れば湿度が低い分過ごしやすいのです。ロトルアには温泉レジャー施設があって水着を着て温泉を楽しみます。団体で来た日本の観光客が素っ裸で浴場に入ってきたことが、ここの笑い話の一つになっていますが貸切の浴室もあって、多分裸で入る人もいるでしょう。ホテルやモーテルでも温泉を楽しむことができます。また、伝統的に権利を持っているマオリの家庭だけではなく場所によっては地熱を利用したお風呂がパケハ(ヨーロッパ系住民)の家庭にもあります。
ニュージーランド政府は、小学校でマオリだけでなくパケハにもマオリ語を教えることに踏み切りました。マオリ語はマオリ社会だけで十分という反対を押し切って、この政策は進められました。
1867年に先住民学校法が施行され、マオリを対象とした学校制度が創設されましたが教育言語は英語であり、カリキュラムも英国の初等教育の科目に準じていました。1980年代に入るとマオリの先住民としての自覚の高まりを背景としてマオリ語を媒体とした2つの教育機関、テ・コハンガ・レオとクラ・カウパパ・マオリが創設されました。
テ・コハンガ・レオ(言葉の泉)は、1982年マオリ担当相によって開設され、マオリを対象とした就学前教育機関です。これはマオリの子どもたちがマオリの言語と価値観に生まれたときから接するべきだとの考え方に基づいて作られました。父母などによって構成されるファナウによって運営され教育省と協力して、補助教員の養成もしてます。
一方、クラ・カウパパ・マオリは、テ・コハンガ・レオに通っていたマオリの子どもたちがマオリ語を忘れないようにとの人々の願いから1985年に設立されました。そして1989年教育法で、マオリ語を教育言語とする公立学校の設立が認められた時から、クラ・カウパパ・マオリは正式に政府の支援が受けられるようになりました。マオリが自分達の言語を取り戻していく過程を知るうちに、私はニュージーランドの全人口の15パーセントを占めるマオリたちが南太平洋をカヌーで渡ってきた勇敢な航海民族だということ、その主体性のさと共に、共生を自認するニュージーランド人の国民性に気がつきました。それにしても、マオリの歴史は日本のアイヌが歩んできた道とはなんと違うことでしょうか。
3 ニュージーランドと日本
私がニュージーランドを尊敬する理由の一つにマオリとパケハとの共生共存関係があります。国民的休日であるワイタンギデー(2月5日)は1840年のワイタンギ条約の締結を祝うもので、二つの異なる民族が友好的に暮らしていける)公正な社会の基礎を作った日を祝うのです。
この日は各地で様々な催し物が開かれますが、ワイタンギ(条約が締結された場所で、ロトルアからバスで北に8時間ぐらい)のマオリの集会所で神聖な場所であるマラエで行われるものが最も格式あるものとされています。4年前のこの日、当時大臣で現在は首相になったヘレン・クラークがワイタンギのマラエで演説しました。ところが、この日のような大事な儀式ではただ男性だけが発言できます。それゆえヘレン・クラークの前任者元の首相シェプリンはマラエでは演説を控えてきました。ヘレン・クラークはその習慣を破ったのです。そのことはマオリの中で高い地位にいる女性を刺激し、彼女はヘレン・クラーク批判の演説をしました。ヘレン・クラークにとってそのことは大変ショックで、彼女はその場で泣き崩れ、テレビも彼女の姿を放映したそうです。その後ヘレン・クラークはワイタンギディーにマラエを訪問することを拒否してきました。今年(2002年)彼女はワイタンギディーにマラエを訪問しましたが、演説はしませんでした。そのときのテレビ報道では、多くのマオリが土地の返還などを求めて集会を開き彼女と政府に抗議をしました。ヘレン・クラーク率いる労働党はマオリに配慮した政策を取って来たように私には見えましたので、このことに私は少し失望しました。
民主主義は当事者の我慢の上に成り立つ、共存は両者の歩み寄りと我慢が大切だという意見があります。もし片方が我慢を捨てて自己主張を始めたき、そこには権力の奪い合いと戦いが起こるのでしょうか。
この疑問は私の中でいつも渦巻いていました。そして、この疑問をメリー先生の夫のリチャードさんに聞いてみました。彼はロトルアで弁護士をしています。話を女性の自立から始めました。「離婚の原因の一つに、女性の経済的自立がありますが・・、そしてマオリが失ったと考えるすべてのものを奪い返そうとするとき、ニュージーランドは他の国同様混乱状態に陥るのでしょうか」と。私の疑問はいつもこんなふうに脈絡なく混乱しているのですが、本人は結構つじつまが合っていると思っているのです。ついでに書くと、このとき私の頭にあったのは、恩師江口朴郎先生の「混沌をおそれるな」という言葉でした。リチャードさんは即座にそれも明快にNO
と答えました。「自分たちは必ず賢明な方法を見つけることができる」と言うのです。独立はとても大切だと付け加えました。
ニュージーランドは今、マオリとの共存だけでなく、多くの国から避難民を受け入れて上手に梶を取っていこうとしていますが、それは簡単ではないようです。習慣の違い、言葉の壁が人々を隔てています。でも、自由・平等・民主主義を求める人々がいるかぎり、ニュージーランドは道義的正義にかなった道を見つけ出すに違いないと思います。

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