地球学校-HOME 地球学校についてお問合せEnglish

コラム おしゃべりコーナー - バックナンバー  

No.107 〜的日本語の完成を目指して

まみ [2004/05/14]

 昨日の私の授業スタイルをご披露しながら、又、その後の異文化交流研究会の集まりに参加して、自分の中で揺れ動いているもの、触発されたものを感じました。自分の授業は何を目指しているのか、はたまた、何に向けて力を持ちいるべきなのかを考える機会になったようです。やはり、人と人は出会い、触発され合う存在だと----。異文化交流はそこに意味があると思いました。
 自分の中には「これ」と自覚されていたわけではないが、底辺に流れていた物、掘り起こされずにいたものが 人とじっくり話す、自分とじっくり向き合うことで見えてくるのだと思います。話し合っている時に出てきた言葉なのですが、日本人としての大きな文化的な意味での「くせ」それに加えて本人自身がもつ対人関係で持ちやすい「くせ」がある。つまりは自分自身を知ることの必要性、それは他者との出会いでしか得られないものだということではないか。
他者との出会いは毎日あるようで、実はない。普段は日本語という記号を使って物や事やり取りに終始して終わるのがほとんどでしょう。それはまさに流れていく日常の生活のための言葉です。ところが人間はそれだけでは終わらないところが素晴らしいというのか、やっかいだというのか------。日常を超える場面が必要な存在なのですね、人間は。恋に落ちたり-----、熱に浮かされて何かしてみたくなる----、舞い上がったり、傷ついたり、落ち込んだり、だまされたり、浮世の風(他者との出会い)にさらわれてとんでもない所に着地するんですね。でも、それが自分を知ることだし、生きる事なんだと-----実感する今日この頃です。
まあ、いろいろあるけど----、いろいろあるから人生はおもしろいと---。
 表題からどんどん外れてしまいしたが、英語はここ10年ぐらいの間にかなり世界に浸透したように思います。それと共に、面白い現象も起きているように思うのです。その国なりのクセを持った英語もできつつあるということではないか---さる大学のえらい先生(名前をわすれました)が言っていましたが、「日本的英語のすすめ」です。私もヨーロッパを中心に旅行を重ねましたが彼らの英語は実に堂々とした「〜的英語」でした。決して恥ずかしがることなく----。
 そうであるならば「〜的日本語」で良いではないかという事も言える。彼らの発想、彼らの表現する日本語を楽しみたいと思うのです。日本語の大きな文法の枠を堅持しながら、彼らの創造する日本語に出会ってみたい。英語的発想の日本語も50年前に比べるとずいぶん増えてきました。若い人の功績でしょう。それを嘆くのか、それを面白いと思うのかでもだいぶ視点が違ってきます。混合ミックスがどこまでいくのやら----世界の果てを見るのには私の残り時間があまりに少ないのが不満ですが、出会いで変化する自分、日本、日本人、日本語、思いっきり楽しみたいと思っています。それではまた、変化して大人に成った私を見てね。

戻る

募集中!

日本語教師募集
募集要項はこちら!

コラム募集
おしゃべりコーナー」にコラムを掲載しませんか?
興味のある方はこちら

地球学校会員募集
地球学校の活動をお手伝いしてみませんか?
詳細情報はこちら