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コラム おしゃべりコーナー - バックナンバー  

No.75 Y子&E子の“モンゴル”旅日誌〜番外篇

Y子 [2002/10/30]

司馬遼太郎様。

あなたが1978年8月に行かれた時は新潟、ハバロフスク、イルクーツクと3泊して4日がかりの旅でしたね。 その時、「モンゴルへはおそらく今後もじかにゆけることはあるまい」と『モンゴル紀行』に書かれました。

でも この春 遂に成田―ウランバートル直行便が飛ぶようになり、わずか4時間半の近いところになったのです。

あなたが行かれた24年後。季節は同じ8月下旬。 私も行ってきました。 大草原・・・想像以上のスケールでした。でも草原に花の香りがたちこめては・・・いませんでした。異常気象のせいでしょうか。8月でも、夜は日本の冬の寒さと聞いていましたが、20度を下らない寝苦しい夜(おかげでゲルの快適さを実感できましたが)。それに雨も今年は少ないそうで花の盛りは過ぎており、たまに薄紫や、白い花を二,三輪見つける程度でした。一つ一つの花は強い芳香を放っていましたから、私は仕方なくその花を鼻先に近づけ目をつむって、見渡す限りの花の情景と「大地が淡い香水をふりまいたように薫っている」光景を想像しました。

‘90年に再訪されたときは、モンゴルが市場経済に変わったばかりで、まだ混乱の状態にある・・とありました。その混乱の度合いはもっと進んだのかもしれません。機に乗じた成金が誕生した一方で、現金収入を求めて首都ウランバートルに吸い寄せられた人々の中にはまだまだ安定した生活がもてない人も多いようでした。 人なつこく道案内をしてくれた若い男が、やおらソックスをめくって‘クスリ‘を買わないかと持ちかけた時には、こうしてこの街も(国も)普通 になっていくのだなと思いました。

でも、1050トゥグリクのタクシー代に1000トゥグリクしか持ち合わせず、不足分をドルで払おうとしたら「いい、いい」とまけてくれたタクシーの運転手。2日目にはずいぶん永く乗ったのに1日目の馬代と同じ額しか要求しなかった馬主兼御者のお兄さん・・など、あなたの言う‘寡欲‘の人々はしっかり、変化のはげしいモンゴルに生きつづけているようでした。

一番変わったのは、この国の人々が永いこと公には口に出せなかったらしいジンギスカンが英雄として甦ったことでしょうか。ジンギスカン・ビール、ジンギスカン・タバコ、ジンギスカン・マッチ・・。お札にいたっては1万トゥグリク札から、5000,1000,500・・と全部ジンギスカンの顔ばかりの徹底ぶり。 お客好きで、シャイなモンゴルの人々が、大草原を席巻した騎馬民族の誇りを胸に、混乱のなかを強く生き抜こうとする静かな意志を感じて、私まで元気をもらった旅になりました。

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