No.72 Y子&E子の“モンゴル”旅日誌〜その3
8月22日(4日目)
<家の周りの柵>
行きと同じように、大草原を一晩中列車で走り続け、再び首都ウランバートルに戻ってきた。 この日は、市内観光のあと、日本レストランで夕食というスケジュール。列車の中でこれを聞いた時、我々は同時に「えーっ、日本食食べるのぉ」とブーイング。僅か1週間の滞在で、せっかくモンゴルまで来て、なんで日本食をたべなくちゃならないの! 現地ガイドのハルちゃんも「へんですよねえ。私もおかしいと思いますよ。」と笑っている。「日本に帰ったら本場の日本食食べられるんだからさ、モンゴルでしか食べられないものを食べたいよねえ。」「それ、キャンセルできないの?」「モンゴル料理のお店に連れて行ってよ。」と、騒ぎ立てると、ハルちゃんはきっぱりした口調で「よしっ、じゃあモンゴルの家庭料理を食べましょう!」
てっきり、どこかのレストランに行くと思っていたのだが、実はハルちゃんは自宅に招いてくれるつもりだったのだ。自宅といっても、彼女の嫁ぎ先。大学時代に知り合ったというラブラブのご主人とは、我々はすでに国境への列車の旅を共にしているので面 識がある。家族は他に1歳の息子、モカナちゃんとご主人の両親、電力会社に勤めるご主人のお兄さんの6人。そのお姑さんが、自慢のウデをふるってモンゴルの家庭料理を作ってくれると言うのだ。 我々がホテルで休んでいる間にハルちゃんは、旅行社とかけあい、日本食レストランをキャンセルし、家族の了解を得、準備をすべて整えて、ホテルに迎えに来てくれた。
市内のアパートで暮らしていると聞いていたのだが、連れて行かれたのは、市のはずれの小高い丘に建つコンクリート建ての家。別 荘として最近建てたのだと言う。50坪ほどの敷地の周りには柵がめぐらされている。周辺一帯は、それぞれの家主が厳重に高い柵をめぐらしている。柵といっても、あり合わせの木材や板切れを張り合わせて、これでもかという具合に釘で打ちつけてあるので、遠目は何だか災害時の避難民のバラック群のようで、およそ別 荘というイメージからはほど遠い。しかし、家はこざっぱりとしていてきれい。自称‘ウサギ小屋’に住んでいるE子などは、「わあ、うちよりずっと立派!」と感激。
ロシア革命に同調し共産主義国家として歩んできたモンゴルは、今、急速に近代化、資本主義化が進んでいる。本来、私有地という概念はないはずなのに、周辺は新興住宅街といった趣きで、多少ゆとりのある階級が自分の土地を確保して、しっかりと境界線を主張しているのだ。 共産主義化する以前も何千年もの間、大草原を悠々と移動して暮らしてきた遊牧民にとって、わずかな土地を自分のものとして所有し、まして柵で囲うなどということは考えられないことだったに違いない。時代の変化は、生活様式の変化にとどまらず、モンゴル人の意識や価値観にも大きく影響しているにちがいない、と、感慨深いものがあった。
ちなみにウランバートル生まれのハルちゃんは、生まれてからずっとアパート暮らし。子供のころ、おばあちゃんを訪ねてゲルに行ったことはあるが、ゲルで暮らしたことはないという。だから、一戸建てのコンクリートの家が、とてもうれしいらしかった。
<モンゴルの家庭料理>
玄関の前で、堂々たる体躯のご主人が笑顔で出迎えてくれる。(モンゴル相撲 強そう!) ご主人のお父さんお母さんも、はるばる遠い日本から出かけてきたおばさん達を暖かく歓迎してくれて、まず、嗅ぎタバコをすすめられる。お客さんにはまず嗅ぎタバコ…これがモンゴルの習慣だそう。続いて、お母さん特製のミルクテイー。チベットのバター茶のように塩味で、これが意外とさっぱりとしておいしい。各家庭の味があるらしい。
テーブルの上には、大きな鉢に山盛りの乾燥ヨーグルトやら乾燥チーズ、それに揚げ菓子。(ぜんぶお母さんの手づくり!)続いて、揚げたてホカホカの‘ホーシュ’(ピロシキのようなもの)。そのうち、お父さんが棚から何やら酒瓶らしきものを大切そうに取り出し、全員のグラスについでくれる。「遠くから来てくれたことに感謝!」とお父さんの挨拶にしたがって乾杯。といっても、この液体、無色透明で匂いもほとんどないのだが、ものすごくアルコール度が強いらしい。そんなもの、飲んだらひっくり返ってしまうにちがいない。しかし、これもモンゴルの習慣。遠来の客とはまずこの酒をくみ交わすのだそうだ。だから、なめるだけでも…と促されておそるおそる嘗めてみる。ウオッカのごとく、ジンのごとく、ひたすら舌が熱い!
メニューは続いて、又してもお母さんお得意のお手製‘あつあつうどん’。マトンの肉と塩だけの素朴であっさりしたスープがおいしい。汗をかくのがいい、とのことで、夏でもあついうどんなのだそうだ。我々も汗をかきかきフーフー言いながらいただく。 デザートはすいか。あ、お父さんが家庭菜園で作ったというトマトときゅうりの前菜もあったっけ…。昔のモンゴル人は、野菜は食べなかったらしい。厳しい自然環境もさることながら野菜を育てるという習慣がなかったのである。だから、必要なビタミン、ミネラルはほとんど乳製品から摂っていたわけ。しかし、最近は食習慣もどんどん変わり、野菜をふんだんに食べるようななったとのこと。 我々の旅の間も、どこでも野菜料理は必ず出たし、メインデッシュにはいつも野菜の付け合せがあった。食生活も大きく変わり、時代の波、西洋化の波が押し寄せていることが実感できた。
お昼寝をしていた1歳のモカナちゃんが起きてきて、ヘンな来訪者にびっくり。モカナちゃんを中心にひとしきり談笑の渦。裸んぼうのモカナちゃんのお尻にはくっきりと青黒い蒙古斑が…日本人の赤ちゃんにもあるよぉ。一緒だね。仲間だね。とまた、訳もなくみんなで笑いあう…ほんとうに‘ふしぎ’遥か遠いここモンゴルの人々が、どうしてこんなにも日本人に似ているのだろう?血縁的にどうしても他人とは思えない。
8月23日(5日目)
<カラコルムへ>
この日はウランバートルを後にして、又しても大平原を突っ走り、モンゴル高原の中心地であるカラコルム(モンゴル語では‘ハラホリン’)へと向かう。かつてのモンゴル帝国の首都だったところ。降水量 がけっこうあるめ緑が多く、水量のあるオルホン川が横たわる豊かな土地として太古より放牧が盛んだったと言う。
出発前、旅行社からは「車の故障が多いですよ」と脅かされていたが、今度の車もまだ新しいクーラーつきのクルーザー。最初は舗装道路なので快適なドライブだった。しかし途中からはやたら補修工事が続き、又もや先日のごとく、道なき平原を砂けむりをあげて疾駆。中の我々はやっぱりトランポリン状態。 運転手さんはモンゴル風ではない細身で華奢な若者。ハルちゃんは「運転がうまいです」というが、アメリカンポップスが好き、というだけあって、ひたすらスピードをあげて飛ばし続ける。おかげで、途中、故障して炎天下に立ち往生している何台もの車を尻目に、一度の故障もなく、予定より1時間も早く、夕刻に目的地のツーリストキャンプに到着。
キャンプは、かなり広い敷地に20個ほどかわいいゲルが並らんでいる。中心にオフィスゲルと食堂ゲル。敷地の周囲は低い柵で囲われているが、その外に広がる平原は思ったより緑が少ない。今年は雨が少なく、暑さ厳しく、川は干上がり、草は枯れてしまったのだという。馬や羊に被害が出ているという。「今年は異常です。」…。今までにもハルちゃんは何度、このせりふを言ったことだろう。地球温暖化、世界的異常気象は、モンゴルの大自然にも容赦なく襲いかかっているのだ。
夕食前に散歩に出てみると、それでもゴビ草原よりはやはり緑が多く、なだらかな丘陵の続くかなたには森林も見える。人っ子ひとりいない草原に羊たち、牛たちがのんびりと草を食み、 穏やかな夕暮れが訪れようとしていた。モンゴルの夕方はとにかく長い。
夕食後は、今回の旅行最大のイベントが我々を待っていた。
― 続く ―

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