第128回 私は使役を使いません
凛
初級をひととおり終え、「理解していない文法を勉強したい」ということで使役に入った時のことです。どんな状況で使うかを説明している時「私には使役はわかりません」と言われました。別の方法で説明しようとすると「説明はよくわかります。でも私にとって使役は変です。ですから私は使役を使いません」とはっきりした口調で言いました。
彼は日本企業で働く欧米系のビジネスマンでした。とても穏やかな人で熱心に日本語を勉強していました。職場は日本人だけで彼の上司も部下もいました。職場で何度も使役表現を耳にし、不可解に思っていたようです。彼があらためて使役を勉強し、使役との対立を決意したように私には思えました。彼の主張は「私の国では人間は平等で上下の差はありません。上司であっても部下であっても職場ではただ役割が違うだけです。強制するものではありません。」というものでした。特に欧米の学習者から何度となく言われる「ここが変だ、日本」の一つに使役も入いるのかと思いました。しかし私は「そうですね、あなたにとって使役は変ですから勉強はやめましょう」とは言いませんでした。使役は日本語の中で存在し続けるし、言葉と文化は表裏一体でいずれ彼にも理解できると思ったからです。
使役の具体的場面を考えると、日本語としてはやはり使役でなくては落ち着かない気がします。例えば、得意先で問題がおこり自分の会社の誰かが行くとすれば社員は「○○を行かせます」と言うでしょう。「○○が行きます」となると○○さんの意思が強く「仕事として行く」という会社の責任感が出ないような気がします。子供が病気で幼稚園や小学校を休むという連絡をする場合も保護者は「○○は風邪なので休ませます」と言うとすっきりし、義務を果たした感じがします。
ある若いお母さんが幼稚園に電話して、「○○ちゃんは今日休みたいんです。」と言ったという話を聞き、「へえー!」と思いました。時代とともに親子の関係が友達のようになると使役は肩身が狭くなっていくのかもしれません。そんな折、夫婦で出席するべきパーティに出席できない夫が、「申し訳ありませんが妻を行かせますのでよろしくお願いします。」と電話で話しているのを聞いてこの私も複雑な気持ちになりました。私だけが行けない場合「夫だけ行かせます」とは絶対に言わないなぁと思いながら。
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