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コラム ふしぎ日本語 - バックナンバー  

第126回 おもさげなござんす

A.O

 浅田次郎著「壬生義士伝」を読んだ。映画やテレビにもなった有名な作品だ。読みながら何度か泣いた。電車内で泣けてしまって困って以来、家で読むようにしたほどである。

 この物語の主人公、吉村貫一郎は南部藩(盛岡藩)を脱藩した新選組隊士である。小説の要の部分は吉村貫一郎の独白である。「おもさげなござんす」は吉村貫一郎のせりふの中に何度もでてくる、大切な言葉だ。「申し訳ない」というような意味である。南部藩の人々の会話なども当然、南部盛岡の方言で書かれている。これがなんともいいのである。心に響くのである。

 浅田次郎氏が卓越したストーリーテラーであることは間違いないのだが、彼の方言研究の確かさもまた、すごいとおもう。何故そう判断したかというと、氏の多くの作品中の「大阪弁」「京都弁」が、まるでネイティブだからである。私の祖母は京都出身、私自身は成人するまでどっぷり大阪商人の家で育った。当初「浅田氏は関西出身にちがいない」と思っていたが、後で知ったところによるとちゃきちゃきの江戸っ子だそうだ。吉村貫一郎の方言がしっかり研究された結果であるのは、推して知るべしである。

 ただ、「壬生義士伝」は133年ほど前のお話であるが、使われている言葉は実際の133年前の方言と寸分違わないというわけではないだろう。同じ幕末の京都島原が舞台である「輪違屋糸里」の京都弁も同様である。実際のところ録音が残っているわけではないし、例え残っていたとしても現代の読者が聞いて(読んで)理解できなければしょうがないからだ。これは私の推測だが「輪違屋」で使われている京都弁は私の祖母の若い頃あたりのものではないだろうか。「壬生義士伝」の南部弁に関しては私にはわからないが、実際には当時の南部弁はもっと(他の地方の者には)わかりにくかったのではないだろうか。

 昔の日本語は地域による違いが今よりずっと大きかっただろう。幕末の頃、京都にやってきた薩摩の侍と奥州の侍が、お互いに言葉が通じずに困ったという話を読んだことがある。そういう時には、両方の方言が少しはわかる者何人かで通訳したそうである。まるで外国語のようだったわけだ。明治になり、自分たちは皆(外国に対する)日本という国の国民だととらえるようになった。国語教育の中での方言の扱いについては歴史的変遷があるが、今では日本中どこに行っても、学校の国語の時間には共通語のアクセントで教科書を音読している。テレビのニュースも幼児番組も共通語である。日本人同士、話が全く通じないということはなくなった。それはもちろんいいことだ。

 一方、方言はだんだんと「薄まって」きている。たとえば、私の母は「お天気ようなって、よろしおましたなぁ」というが、私の世代は、同じ大阪弁アクセントでも「お天気ようなって、よかったですねぇ」である。とっさに口をついて出るのは私の世代では「おおきに」ではなく「ありがとう」、「かんにん」ではなく「ごめん」である。大阪の青年は私の父のように「(雨が)よう振りまんなぁ」とか「今日はえらいええ調子でんがな」とか「このごろはガソリンが高こまっしゃろ」などとは言わない。お笑い関係の人なら言うかもしれないが。

 今の盛岡の若い人は「おもさげなござんす」とは言わないのだろうか。なんだかちょっと寂しい。


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