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コラム ふしぎ日本語 - バックナンバー  

第117回 かんじのゆくえ 

やまばと

 日本語を学ぶ非漢字圏の人たちにとって、漢字は大きな壁にちがいありません。記号としての表音文字しか知らない彼らにとって、常用漢字表の一千九百四十五文字の意味を覚え、音訓二通りの読み方、使い方を学び、そのうえ正確に書かなければならない・・というのは、私たち日本人が考える以上に過酷な作業であり、まことにお気の毒としか言いようがありません。

 書誌学者の林望氏の「日本語へそまがり講義」によれば『漢字というものは、私たちが考える以上に、昔は融通自在な書かれ方をしていた』のであり、国民がすべて漢字を正確に書けたわけではない。漢字の書き方も時代とともにどんどん変化してきている、としたうえで『明治時代は、新聞や雑誌は、みな総振り仮名付きだった、だから 或る程度の字数さえ書ければ、読むほうはもっぱら振り仮名を拾っていればすんだわけである』

 『しかるに、戦後になると、どういう理由からか振り仮名というものを原則的に廃してしまった。』『思えば罪なことをしたものである。(中略)いわば河を渡る船を取りあげておいて、無理やり泳がせるような、そうして泳げないやつの頭を小突くようなと言おうか、ともかくそういう底意地の悪いやり方が、現代国語の漢字テストというもの』だと、漢字書き取りテストは無駄なことだと言い切っています。

 氏は、漢字を正確に美しく書く努力はワープロにまかせ、人はワープロにできないこと、つまり文章を考える、論理を組み立てるといった創造的方面にもっと集中すべきだと主張しているのですが、たしかに非漢字圏の学習者も、漢字習得に要する膨大な時間と努力を、もっと日本語そのものの構造的理解や、実際的運用〜発話や聞き取り〜に振り向けたほうが有効かもしれないと私もかんがえます。

 実際、漢字の読み書きはダメでも実に流暢に日本語を話せる非漢字圏の人達が多くいます。彼らにとっては、言語はあくまで‘音’から学ぶもので、書いて覚えるというプロセスに慣れていないのです。

 漢字はあくまで 日本語の表記に関わる問題であり、漢字伝来後、この千五百年ほどの営為なのです。日本語そのものは、それよりずっとずっと以前から存在していたのであり、私たちの祖先は、漢字が存在しなかった間にも、長い時間をかけて、日本語に磨きをかけてきたのだと言えます。

 ところで、1963年に安田美典氏(文学博士)が発表した「漢字の将来」(「言語生活」誌掲載)という論文は、多くの反響を呼び、その後も賛否こもごも、まざまな角度から論じられているようです。この論文が注目を浴びたのは、「漢字はいずれなくなる」というショッキングな結論はもちろん、数理言語学という新たな手法で分析されたからのようです。

 氏は、主観的思い入れを排し、小説の文中で使用されている漢字の割合(漢字含有率)を自然科学の手法を取り入れた統計により「明治から平成までを見ると,50年ごとに62字の割合で小説での漢字使用が減少。この現象がこのまま直線的に進むと仮定すると,西暦2190年ごろには文章はかななど表音文字ばかりで書かれることになる」という結論を導きだしたのです。 2190年といえば 今からおよそ180年後!

 これには多くの国語学者が異を唱えたようですが、私も「そんなバカな」と思いました。 「漢字・ひらがな・カタカナを駆使する日本語の表記法は、文章の意味を瞬時に把握できると共に、豊かな感情表現を可能にする優れた特性をもつ。」(樺島忠夫) のはもちろん、千数百年の歴史の中で漢字それぞれに日本的エッセンスがこめられて、日本語の特性そのものとなっているではないか、日本語があるかぎり、漢字はなくならない!と。

 事実、「漢字減少率は低下」「一定の量で横ばい状態」といった調査結果も出ているようです。かな表記語の増加を漢語と和語に分けてみてみると、ほとんどが和語であり、漢語がかな表記になる例は僅かである、という。だから、和語のかな表記化がぐんぐん進んだ後は、漢字含有率は一定の割合で安定する。つまり 漢字減少率に歯止めがかかっているということであり、「やれやれ」と胸をなでおろしたのでした。

 しかし、文学に限らず、新聞や総合雑誌、週刊誌などに対象を広げると、漢字含有率は依然として減り続けているというのが実態のようなのです。原因は外来語の存在。外来語の増加に伴い、相対的に漢語は減ってしまう。外来語はカタカナ表記ですから、漢字含有率も減っていくことになるわけ。「フームそうだよな。ファッション雑誌やカタログなんて、ほとんど漢字ないもん」と ため息。

 以下に野村正昭著「漢字はなくなるか」(河出文庫『やまとことば』)から、関連部分を抜粋します。
 『樺島忠夫氏は著書『日本語はどう変わるか』のなかで、日本語の文章中の文字の比率が、次のような段階をおって変化しているとかんがえている。

〔現在〕     ヒラガナ>漢字>カタカナ>(ローマ字)
                  ↓
〔第一段階〕  ヒラガナ>カタカナ>漢字>(ローマ字)
                  ↓
〔第二段階〕  ヒラガナ>カタカナ>ローマ字>漢字
                  ↓
〔第三段階〕  ヒラガナ>ローマ字>カタカナ>漢字
                  ↓
〔第四段階〕  ヒラガナ>ローマ字>漢字

 第一段階への変化は、漢語の減少と外来語の増加、漢語のカナガキ率の増加によって生ずる。
 第一段階から第二段階では、漢字の知識の低下と文章のヨコガキ化が前提になっている。それによる外来語の原つづりのままの使用が、ローマ字の増加をまねくとする。そして、ローマ字表記が外来語にとどまらず、漢語のカタカナ表記にも及んで、カタカナを侵食・追放するのが 第三、第四段階である。
        (中略)
 (ヨコガキが一般化すれば)カタカナ表記の外来語が原つづりのローマ字表記にかわることも、十分に予想される。商社やメーカーの社内文書では、そういう例は、実際に存在する。ビジネスかビズネスか、bizinesu か bizunesuか選択にまようよりは、business を多くなるのは、自然のなりゆきである』
 
 私は、今担当している学習者が 先日言った言葉を思い出しました。彼は ヨーロッパ出身のITエンジニアで中級話者。漢字は苦手で読み書きは初級です。少し時間に遅れてきた彼は その理由を話すなかで こう言ったのです。

 「クライアントから、システムにトラブルがあったと でんわがあり、チェックしにいきました。マシンのひとつのツールがダメになっていて、それをチェンジするのに じかんがかかりました。」私はこれをメモしながら、ハッとしました。漢字抜きで表記しても 、意味は十分通じるのです。

 安田氏の指摘のように180年後であるか、あるいは もっと先、200年後か300年後であるかその時期はわからないけれど、どうやら‘漢字はいつか消えてなくなる’のは、残念ながら自然のなりゆきのようです。

 先の野村氏の文の最後を引用すると『国際化のなかで、日本語のありかたについて、日本人ひとりひとりが思いをめぐらし、はっきりしたあるべき姿を 自覚することが必要である。』
日本語教師こそ、将来ありうべき日本語の姿について 思いをめぐらすことが 必要かもしれませんね。  これを読んでくださった方々は、どのようにおかんがえでしょうか。 この文のタイトルをつけるにあたり「漢字の将来」「漢字の未来」「漢字の消滅」など、いろいろかんがえた結果 「かんじのゆくえ」とあえて かな表記にしてみましたが、どうお感じになりましたか。


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