第97回 「ウチ」と「ソト」
A.S.
日本語教育に携わる方々にとっては、「ウチ」と「ソト」の問題は初級者に「コ・ソ・ア」(指示詞)を導入したり、敬語の使い分けを指導したりする時によく使う身近なテーマで、今さら...という感もありますが、先ごろ、テレビやラジオで偶然耳にした「うち」という言葉が印象に残りましたので、ここで改めて「ウチ」と「ソト」について考えてみることにしました。
著名なコラムニストが、最近の子供を対象にした犯罪の増加は地域社会の人間関係の希薄化にその一因があるとして、自分が子供のころの体験を次のように語った。「私は下町育ちで、子供のころ家の近くで遊んでいたら知らないおじさんが近づいてきた。すると、近所のおばさんが急いで近寄ってきて、『うちの子に何をするのよ。』と大声をあげた。・・・」
おばさんにとって近所の子は、「ソト」に対しては「ウチ」の子も同然であったのです。
また、たまたま聞いたラジオ英会話で、アメリカの少女が異文化理解のクラスで日本について学んだこととして、「日本ではうち(家)に入るとき靴を脱いでスリッパに履き替え、トイレに入るときはトイレ用スリッパに履き替えるんでしょう。」と日本人旅行者に話しかける場面があった。(ちなみに、対照的な体験談が、当地球学校コラム「おしゃべりコーナー」No.117回り道(2)に掲載されています。是非ご参照ください。)
うち「内」はもともと空間的な概念だと思うのですが、どうして「自分の家族」になったり、「家」になったりしたのでしょうか。
『基礎日本語辞典』によると「竹取物語(平安初期)の中で、家の内外にいて(家を)守っていた人たちを“内(うち)外(と)にいる人”と言っている。」とあり、また、「うち「内」とは、本来は、自分を中心に、特に自己と関係が深いとみている範囲で仕切った線までの部分である。自分の家族のことを「身内」...というのも、この発想に基づく。そして「内」と認めた領域を除く部分が「外」となる。」とあります。
「うち」が「わが家」となり、さらに「わが社」の意味にまで発展しているのは、この延長線上にあり、興味深いですね。(「うち」が「わが国」を意味する時代は来るのでしょうか。)
『ウチとソトの言語文化学』(牧野成一1996、アルク)では、ウチとソトという空間概念を用いて、広く言語と文化の相互関係を説明していますが、日本人のウチの空間の感覚的な使い方が特に日本語文法の中に平行して出てきている、としています。
著者によれば、ウチの概念とは「かかわりの空間」であり、仲間が絶えずいて、お互いがかかわりあっている空間は、ソトに対してはほとんど宗教的に神聖な空間であるとしています。ウチの空間では、人々はまさに視覚、聴覚、触覚などの五感を使って直接的なかかわりが持てるのです。
このような観点から、「ウチ」と「ソト」をキーワードとして日本語文法の諸問題、例えば「コソアド体系」、「授受動詞」、「敬語」、「「は」と「が」」、「文体(常体と敬体)」などの解明にアプローチした本書の内容は、新鮮で興味がわいてきます。
一例として、指示詞「ア系」について紹介すると、「ア系」は基本的には「あれ、何ですか。」というような使い方で遠称と呼ばれますが、これは、「ウチ」「ソト」の立場からは、話し手・聞き手双方にとって情報が「ソト」にあることを示しています。
一方、「あんな人と結婚したいな。」と相手に話したとき、話し手・聞き手は共通体験を持ち、双方にとって「ウチ」の情報となっていることを示している、というわけです。
「ウチ」情報として次のような会話も載っています。
夫:おい、アレどこにやった?
妻:アレ? あたしが飲んじゃった。
・・・・・・・・
(余談)
「ねえねえ、ほら、あの人、会社の元上司、名前なんてったっけ。」
「ああ、あの人? えーと・・・、あのう・・・、あの人この頃ずいぶん老けたわねえ。」
近ごろ身につまされる会話ですが、『あの人の名前』は「ウチ」情報でしょうか、「ソト」情報でしょうか。それとも、“認知症言語学”(!?)の「アレ、アレ」系の指示詞でしょうか。
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