第94回 「的」の日本語的風土
20世紀人
漢字は生命力の強い表記符号。本場中国でも「電脳」、「口可口楽」などと、名語、迷語をつくり続けているし、日本でも、明治初年、西欧文明の導入にあたって鉄道、金融、郵便、社会、為替(これは珍しく和訓語で福沢諭吉の発明)などの新創語や経済、物理などの新解釈造語(中国古代にあったことばの新解釈によるリバイバル語)をおこない、日本の近代化を主導したことはよく知られている。
このうち多くのものは、本家の中国にも逆輸出され、大いに愛用されているようであるが、しかし又一方、これら和製漢語はどこか日本人の体質や性格と結びついており、中国人が使用する漢語とどこかで少しばかりくいちがうところが出てきている。
そのほんの1例として、「理想的」などと使う「的」ということばを取り上げたい。
実はこれを取り上げたのは、これはたまたま、05.10.1のNIKKEIプラス1(日経土曜版)に載った、何でもランキング、『気になる言葉づかい』に 「私(わたし)的には」ということばが第5位にランクされていたからである。
とりあえず、第5位までのワーストワードを再録してみよう。
1 「○○でよろしかったでしょうか。」
2 「1万円からお預かりします」
3 「私って○○じゃないですか」
4 「○○のほう」
5 「私(わたし)的には」
毎度おなじみの悪役たちの勢ぞろいといったところであるが・・・
さて、的であるが、実は「毛沢東選集」の用字調査で、本場では、ダン突のトップとなるほどありふれた字だそうで、中日辞典を引くと、いろいろの用法が書いてあるが、日本語の連体修飾格助詞「の」にほぼ重なるようである。また、日本の格助詞と違って、名詞だけでなく、形容詞にも動詞にもくっ付く。余談ながら、これが、中国語話者によくある「かわいいの人」や「ご飯を食べるの時」などの誤用の原因となっているが、いずれにしても、「・・・の」「・・・に関する」「・・・についての」などの意味になる。たとえば、世界的情況といえば「世界の情況」ということであるし、科学的思想といえば「科学についての思想」あるいは「科学に関する思想」の意味になる。
日本ではどうか。日本語での的の使用は明治初年、西欧文明導入の造語ブームの中で英語の〜ticなどの訳語として初登場したものと見られるが、いまや、広辞苑(第5版)で380語が日本語としていわば公式に認められるほどの盛況である。
よほど、日本人の体質にあった魅力的な表現と見える。そのうちに、「味(あじ)的に」、とか「遊び的には」、さらには「私(わたし)的には」などが広辞苑に登場する時代が来るかもしれない。
この日本人の「的」には、対象そのものをズバリといいきらず、それとなくぼかしていう日本人独特の心理が感じられる。そういえば、「面倒だ」に対する「面倒くさい」、「かわいい」に対する「かわいらしい」、「あの人」に対する「あの方」、(現代では「請求書のほう、よろしくお願いします」などに引き継がれているのか)、「するめ」を「あたりめ」、「敗戦」を「終戦」、「折衝」を「接渉」など、なんとなくもっともらしく(・・・・・・・)思えてくる。(この文、私見。特に「するめ」以降は筆者の冗談。)
この「ぼかし」の心理のさらに奥には、相手に対する気遣い、配慮、遠慮が隠れているのではないか。
ここで、先ほどの日経記事である。
サブタイトル「誤用あふれ 理解超え」と銘打たれたこの句叢、確かにすべて誤用である、しかし、理解を超えているだろうか。
たとえば、第2席、「1万円からお預かりします」。
実は、少し前、仲間でこのフレーズがひとしきり若者ことばバッシングとして、話題になった帰り、レジの女の子に聞いてみた。
「お客さんに心配を掛けないようにという気持ちで使っている」というようなニュアンスであった。つり銭のない丁度受け取ったときには「○○円、お預かりしました」というとも答えてくれた。(ここでも、いただくでなくお預かりというあたりが憎いところ。) 「から」は「始まる」に関連深い言葉である。釣り銭を心配する客に対して、『この取引は、今始まったばかり、ちゃんと私が処理しますから、ご心配なく』とのメッセージであって、文法の誤りはあるが、相手に対する心遣いを伝えようとしているのではないか。
もう一つ、第3席の「私って○○じゃないですか」についても、朝日カルチャーセンターで私に晴天霹靂の日本語文法をはじめて教えた川口良先生は、相手との親近感を高めるための新しい言語様式、「ポジティブ・ポライトネス」という。(詳しくは、「日本語はだれのものか」吉川弘文堂 2005.5参照)
こう見てくると、これまで言及しなかった第1席「○○でよろしかったでしょうか。」も含めて、このワースト5は「相手への心配り」をキーワードとして共有しているのではないだろうか。
こう考えていくと、これらの誤用は、若者の気ままな暴走で「理解を超える」どころか、日本人の心情に根ざし、日本語の風土が生み出した日本語の嫡子なのかもしれないと思う。
正直に言えば、私はこのワーストリストを不快感抜きで眺めることは出来ない。しかし、外国人に日本を紹介する仕事をしている一人として、正しい日本語を教えると同時に、誤用を生み出した日本人の心についても伝えたい。
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