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コラム ふしぎ日本語 - バックナンバー  

第87回 旧漢字と旧仮名遣い

浮田 博良

 漢字は戦後すぐの1946年「当用漢字表」の制定で大幅に使用制限・簡略化されたが、1981年「常用漢字表」で制限が緩和され、仮名は1946年「現代かなづかい」を経て1986年「現代仮名遣い」が制定され、現在通常の文章は原則としてこれに従って書かれている。
 私は、尋常小学校に入学し、国民学校を卒業したのだが、その期間に習った国語教科書の中で印象に残っている物語として次のものがある。
 これは、昨年12月のスマトラ沖地震と津波に関連して思い出し、教科書をスキャンした画像がネット上で見つかって、改めて読み直した。但し、今の私としては物語の筋よりは、旧漢字と旧仮名遣いに興味をひかれた。小学生の頃、こんな文章を読み書きしていたのかと思うと不思議な気がする。今では、読めるが書くのは難しい。まして、その頃の外国人にとって、旧漢字や旧仮名遣いを学習するのはさぞ大変だったことだろう。
 以下に、その教科書(原文縦書)からの抜粋を記載する。

小學國語讀本 巻十 尋常科用  第十 稻むらの火
 「これは、ただ事でない.」とつぶやきながら、五兵衛は家から出て來た。今の地震は、別に烈しいといふ程のものではなかつた。しかし、長いゆつたりとしたゆれ方と、うなるやうな地鳴りとは、老いた五兵衛に、今まで經験したことのない無氣味なものであつた。
 五兵衛は、自分の家の庭から、心配げに下の村を見下した。村では、豐年を祝ふよひ祭の支度に心を取られて、さつきの地震には一向氣がつかないもののやうである。
 村から海へ移した五兵衛の目は、忽ちそこに吸附けられてしまつた。風とは反對に波が沖へ沖へと動いて、見る見る海岸には、廣い砂原や、黒い岩底が現れて來た。
 「大變だ、津波がやつて來るに違ひない」と五兵衛は思つた。此のままにしておいたら、四百の命が、村もろ共にやられてしまふ。もう一刻も猶豫は出來ない。「よし.」と叫んで、家にかけ込んだ五兵衛は、大きな松明を持つて飛出して來た。そこには、たくさんの稲束が積んである。「もつたいないが、これで村中の命が救へるのだ.」と、五兵衛は、いきなり其の稲むらの一つに火を移した。風にあふられて、火の手がぱつと上つた。一つ又一つ、五兵衛は夢中で走った。かうして、自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまふと、松明を捨てた。日はすでに没して、あたりがだんだん薄暗くなつて來た。稲むらの火は天をこがした。山寺では、此の火を見て早鐘をつき出した。
 「火事だ、荘屋さんの家だ.」と、村の若い者は、急いで山手へかけ出した。續いて、老人も、女も、子供も、若者の後を追ふやうにかけ出した。
 高臺から見下してゐる五兵衛の目には、それが蟻の歩みのやうに、もどかしく思はれた。やつと二十人程の若者が、かけ上つて來た。彼等は、すぐ火を消しにかからうとする。
五兵衛は大聲に言つた。「うつちやつておけ。大變だ。村中の人に來てもらふんだ。」
 村中の人は、追々集つて來た。五兵衛は、後から後から上つて來る老幼男女を、一人々々數へた。集つて來た人々は、もえてゐる稲むらと五兵衛の顔とを、代る代る見くらべた。
 其の時、五兵衛は力一ぱいの聲で叫んだ。
「見ろ。やつて來たぞ。」遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。其の線は、見る見る太く廣くなつた。非常な速さで押寄せて來た。「津波だ。」と誰かが叫んだ。
 百雷の一時に落ちたやうなとどろきを以て、陸にぶつかつた。 人々は自分等の村の上を荒狂つて通る白い恐しい海を見た。二度三度、村の上を海は進み又退いた。
 高臺では、しばらく何の話し聲もなかつた。 我にかへった村人は、此の火によって救はれたのだと氣がつくと、無言のまま五兵衛の前にひざまづいてしまった。

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