地球学校-HOME 地球学校についてお問合せEnglish

コラム ふしぎ日本語 - バックナンバー  

第65回 不思議日本語?いいえ、不思議日本人


オリーブ

 カタカナ言葉の広がりが話題になって久しいが、世代によって、また仕事によってなど各人の立場によって意見も違い なかなか一律に決めることは出来ないようである。
 日本語を教えているとき、学習者が自分たちの母国語に置き換えて覚えていこうとするのは、我々が英語を学習したときのことを思い出せば当然のことと思われる。しかし、我々も英語を習得していくうちに、単純に置き換えられない言葉が多くあることに気付いた。
先人たちはbaseballを「野球」 speechを「演説」と新しい言葉を作ってきた。しかし現代は、造語をするのではなく、そのままカタカナ語で取り入れることが多くなった。カタカナ語は訳語を当てると少しニュアンスが異なる気がしてそのまま使われているものが多い。「ニュアンス」などはかなり昔からそのまま使われている。適格な訳語がないということであったのであろう。
 ではなぜカタカナ語を多用するのであろうか。例えば今話題のマニフェストは「政策公約」等というよりずっと新しくて、何かいいことのように思われがちなようである。(アクセントは既に日本語風アクセントに変わってきている。)
 カタカナ語は「お洒落」「新しい」と思って使うことが多いようである。消費者はカタカナ語の氾濫している広告商品に満足し その品物を求める。
 地球が狭くなり、どんどん世の中の動きが早くなっている現在、造語をしている暇も余裕もないのであろう。しかしそうならば、なぜ新しい外来語・カタカナ語をそのまま原語読みに近いアクセント、発音で使わないのであろうか。まして中には使い方(意味)を誤ってしまっているものさえある。造語も、訳語もしないで取り入れるのであれば、現代が国際化時代であるだけに、日本でしか通じない使い方、読み方、発音で使うのはやめた方がいいように思う。そのまま原語に近い読み方、アクセント、使い方をすることによって、その言葉はその原語圏の人にも通じることになると思う。日本語読み、日本語流使い方は決してお洒落ではなく、日本語に置き換えられるものをそのような外来語を使うということは日本語自体を貶めることになるとさえ思われる。
 日本人が外来語に「よわい」のは日本人の不思議なところであろう。よく自国語を大切にするフランス人と比較されるが、そこまでかたくなにならなくとも、もう少し日本語を誇りに思い、外来語は外来語としてその国の言葉として使って行きたいと思うのは私だけであろうか。

戻る

募集中!

日本語教師募集
募集要項はこちら!

コラム募集
おしゃべりコーナー」にコラムを掲載しませんか?
興味のある方はこちら

地球学校会員募集
地球学校の活動をお手伝いしてみませんか?
詳細情報はこちら